愛 飢男(あい うえお)の幸せ日記

バツイチ、中年、無職、そして友人、恋人、家庭すべてなし。でもすごく幸せ。どうして?時間を自由に使えるから。

日常生活で遭遇する不幸への対処法

前回まで4回にわたって

「今が幸せ」と「気づく」ことの重要性

そしてそれを認知できれば

永続的な幸福感を得ることができるようになる。

ということをお話してきました。

 

 

 

ai-ueonosiawasenikki.hatenablog.com

 

 

 

自分の人生を幸せにするのは 自分に起きる(刺激的な)出来事ではありません。 今の自分が幸せであると気づくことなのです。 刺激的な出来事というのは今ある幸せにちょっと 味付けをしてくれる単なるスパイスにすぎないのです。

「幸せ」って?(最終回) - 愛 飢男(あい うえお)の幸せ日記

 

 

 

一方で

学校でいじめにあってるとか、

職場で上司(同僚)とおりあいがつかないとか

配偶者との喧嘩が絶えないとか

日常において不幸を感じざるを得ない

状況に出くわすことも

やはり避けられないのが現実であります。

 

そこで、前回までは幸せとは何かについて

いわば総論的なお話をしましたが、

今回はその幸せな毎日の中で生ずる上述のような不幸な状況への対処法、

言い換えればその各論的なお話をしていきたいと思います。

 

 

人間とは社会的動物であるため他人と接しなければなりません。

接すれば当然摩擦が生じうるものです。

そういった中でも、瞬間的でなく継続的に摩擦が生じている状況というのは

本当に苦しいものだと思います。

 

そのような環境下では「今が幸せ」と感じることは非常に困難かと思います。

では、意に反し継続的な不幸な状態に陥ってしまったら

どのようにすればふたたび幸せを実感できるようになるのでしょうか。

以下、その対処法を説明していきたいと思いますが、

結論から先にから述べるますと、

「その状況から離れること」が必要となります。

 

上記の事例を参考に少し詳しく説明します。

いじめにあっている、上司や夫婦との関係で疲弊しているのであれば、

その状況から離れ違う環境に身を置くとこが必要になってきます。

ひとつの例としては、転校するであったり(社内での)配置転換、

離婚といったことになるかと思います。

 

もちろん多くの人からの

転校とか離婚とか簡単に言うな。そんな安易にできるものではない。

といった批判もあるかと思います。

確かに、転校や離婚などといったことは非常に時間的精神的な労力等を要するもので

可能であれば避けたいところです。

また、わたしもあまりお勧めしたい対処法とは思っていません。

なので、「物理的に」その場(状況)を離れるのは最終手段となります。

 

では、まずはどうすべきなのでしょうか。

不幸な状況が起こってからあまり時間が経過していないのであれば、

周囲の人(いじめであれば先生、

上司との軋轢であれば人事担当、夫婦間問題なら専門家等)

に相談し状況を変化させるもの対処法としての

一つの手段かとは思いますが、

わたしはまず最初に自身の態度や考え方を客観的に見つめなおして

主体的に変えていく必要があると思っています。

 

なんらかの現象、状況が生じるにはかならずその原因があります。

いまあなたにいじめや軋轢が生じているであれば

それにはやはりその原因があるのです。

 

もちろん、いじめる人間、ひどい上司、理解のない配偶者など

周りにその原因を見出すこともできます。しかし、そういった人々と

ぶつかってしまうあなたにも実は

その状況は発生させている原因があることを忘れてはなりません。

 

いじめにあい転校したとしましょう。

それで問題解決すれば良いのですが、転校先でまたいじめにあってしまう

あるいは配置転換も同じです。転換先でもまた上司(同僚)と軋轢を

生じさせてしまう。

そんな話を耳にしたことがある方もいるかと思います。

また、経験上なんとなく納得していただけるかと思いますが、

どんな学校(クラス)、部署で

あっても変な人(自分と反りがあわない、理解不能な人)というのは

一人や二人必ずいるものであると私は思っています。

ですので、そうである以上、社会生活をする限りおいては、

周囲が自分にとって心地よい人(無害な人)だらけ

ということはまずほとんどありえないだということを

理解する必要があるのです

(もし仮にあったしたらそれは本当に偶然でラッキーなだけなのです)。

 

そうであるのならば、どの組織でも起こりうる

不幸な状況を改善する方法は

周囲の人々を交換してしまう(転校や配置換えする)というやり方ではなく

自分(ふるまいや考え方、捉え方)を変えてしまう方が

根本的な解決方法となりうるのです。

いじめはもちろん良くないことですが、

現実としてたびたびいじめられてしまうのであれば

自身の言動やふるまいあるいはみなりなども

変える必要があるかもしれません。

会社で人と軋轢を頻繁に生じさせてしまうのであれば、

言われたことを真に受けない(良い意味で適当に聞き流す)、

相手に応じてうまく取り繕うようにするといったように

すべてを正面から受け止めたり立ち向かわないように

自分の考え方やふるまいを変えるべきなのです。

 

そうのように自分を変化させることができれば、

結果として、相手の自分に対するイメージであったり、また

自分が抱く相手に対する印象、感情を良い方向に

変えていくことができるようになるのです。

 

 

 

なにか自分のポリシーや信念を曲げているみたい、

自分が負けたみたい、

そんなのプライドが許さないとかと

思う方もいるかもしれません。

 

もちろん絶対に譲れない信念やプライドは

人として持ち続けるべきだと思いますが、

特に学校や職場程度でしかつきあいのない人で、

(自分にとって尊敬も値しない、一生にわたって付き合うわけでもない)

どうでもいい人に対してあまり本気になる(考える、与(くみ)する)

必要はないかと私は考えます。

それよりむしろそんな人たちから

ストレスを受けて苦しんでいる自分を憐れんだり

悩んでいる時間の方が無駄と捉えた方が

むしろ建設的、積極的な態度ではないかと私は思います

(夫婦の場合は一生付き合うべき相手なので、

信念上の妥協できる、できない部分はより厳格に判断すべきかと思いますが)

 

(このように見ていくと

以前流行語ともなった作家の故渡辺淳一氏が

指摘したようにある程度の「鈍感力」を持っていること、持てるようになることは

幸せに生きる上では非常に大切な能力なのかもしれません。)

 

鈍感力 (集英社文庫)

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最後にこれまでの話をまとめてみたいと思います。

現段階において急迫不正な不幸の状況とまでなっていないのであれば、

対処法としては

①周囲に相談する

②自身の物の見方、考え方、ふるまいを見直す

ということになり(「①」も実は周囲の説得などによって

双方における見方、考え方等を検討しなおすという意味では

「②」に相手方が加わっただけなのですが・・)

そして、現時点においてはあまり悠長なことを言ってられない状況と

既になっている場合は

③物理的な状況を変える

ことになります。

 

ですが、私としてはここで

②の「自身の物の見方、考え方等を見直す

ぜひ強調しておきたいと思います。

 

と申しますのも、

前回までの「「幸せ」って?」においてのお話と同様

自身(の考え方、捉え方等)が変わらないと

周囲からもたらされる状況(影響)というのは永遠に変わらないものなのですから・・

 

 

 

 

(次回は日々幸せに生きるための

ちょっとしたコツについてお話します)

 

 

 

 

 

 

「幸せ」って?(最終回)

今まで3回にわたって「幸せ」について

考えてきました。

 

ai-ueonosiawasenikki.hatenablog.com

 

 

ai-ueonosiawasenikki.hatenablog.com

 

 

ai-ueonosiawasenikki.hatenablog.com

 

ここで一度まとめてみたいと思います。

 

①人は幸せになりたいと思う。

②そのため、幸せになるための刺激を求める。

③刺激を受けたときは幸福感に満たされるが

時とともにその幸福感はなくなっていく。

④そして新たな「より強い」刺激を求める。

⑤「③」「④」が繰り返されるも「より強い」刺激は

得られなくなりいずれ限界が来る。

⑥(自身が持っていないものを他人はもっているように見え)

自分は不幸と感じたりあるいは他人に対し妬みの感情を持ったりする。

 

このことから、私は

 

永続的な幸せを手に入れるためには

幸せに「なる」という発想をやめて

新たな刺激を求める必要をなくすべく

常に今が幸せであると「気づく」必要がある

 

と説明いたしました。

 

今に幸せを感じろといっても

現状に対する不満はみなさんたくさん抱えているかと思います。

たとえば、

ア-1)となりの〇〇さんは夏休みに海外旅行に行ったのに

うちは国内旅行。

イ-1)子供の同級生が一流高校に受かったのにうちの子供は三流高校。

ウ-1)どこそこの旦那の年収は1千万円なのにうちは夫婦で500万円

などなど・・

恐らく不満を言えば数えきれないくらいあるでしょう。

そうです。不満を探せばいくらでも見つけられるのです。

そしてその不満ばかりに意識がむけられると人は間違いなく

不幸を感じることになります。

 

であれば同じように嬉しいこと、楽しいことに

目を向けてみれば良いのではないでしょうか?

アー2)夏休みに国内旅行に行けたね。楽しかったよね。

イー2)500万円稼いでいるし、たまには高級レストランで食事もできるし

楽しいイベントできるね。

ウー2)子供ががんばって高校受かった。とりあえず良かった。

ちょっと物足りないけど、大学で挽回できるようになってもらおう。

などなど・・

発想をかえるだけで、随分と心は楽になれるし幸福感をいだけるかと思います。

 

いやいや、

アー3)うちは良好すらいけない。食べるので精一杯。

イー3)500万円?とんでもない200万円がせいぜいだよ。

ウー3)高校受かった?うちは全部落ちたよ。

とそもそも事例が幸福すぎると指摘する人もいるかもしれません。

 

でも、よく考えてください。

ア-4)食べるので精一杯?

 でも食べているんでしょ。餓死するほどじゃないでしょ。十分じゃないですか。

イー4)200万円?

 家にクーラー、テレビ、冷蔵庫あるでしょ。十分快適に過ごせるじゃないですか。

ウー4)高校落ちた?

 子供いるんでしょ。幸せじゃないですか。

 

私は多くの人が自身の不幸状態を探すのはすごく得意なのですが

幸せの状態を探す(気づく)のはどうも苦手のような気がします。

 

たとえば、

少し前の時代までは

水は外に汲みにいかなければ手に入らない

労力を伴うものだったのです。それが今われわれは

蛇口をひねれば水が出る。さらにお湯まで出る。

これだけでも本当に幸せです。

( 第2回目でも少し言及しましたが、

先進国で見受けられるメンタル疾患。

先進国は日々が幸せの状態で満たされているので

意識しないと幸せを「実感」しづらくなっているのだと思います。)

 

人間にとって不幸なこと。それは日々、死の恐怖に怯えていること、

つまり、いつ敵(周囲の人間が)が自分の命を奪うかわからない状態

あるいは恒常的に食べるものがない状態

といった生命の危機に直結している状況だと思います。

 

この点、今の日本は治安、衛生面で世界トップクラスです。

国家が安定しておらずテロや犯罪が日々頻発

しているいつ命を落とすかわかない

シリアのような地域も世の中にはたくさんあるのです。

そんな不安にさいなまれることなく

私たちは日々暮らしていけるのです。

本当に幸せじゃないですか。

 

今が幸せということに気づくと

人生がとても楽しくなります。

自分が幸せなので、他人がどうであれ動じなくなります。

嫉妬、妬みもなくなります。

心が安定します。笑顔が多くなります。

笑顔が多くなると、周りの人もやさしく接してくれるようになります。

そうなると人生はより楽しくなります。

 

自分の人生を幸せにするのは

自分に起きる(刺激的な)出来事ではありません。

今の自分が幸せであると気づくことなのです。

刺激的な出来事というのは今ある幸せにちょっと

味付けをしてくれる単なるスパイスにすぎないのです。

 

 

 

 

(次回のおはなし) 

生命の危機以外にも日常不幸を感じる出来事はあるかと思います。

学校でいじめにあっているとか、

社内で上司(同僚)と おりあいがつかないとか、

配偶者と喧嘩が絶えないとか・・

このような幸せ人生を乱す各論分野を扱っていきたいと思います。

なお、結論から申し上げれば、

「その状況から逃れることが必要」となります。

「幸せ」って?(第3回)

(「幸せ」って?(第2回)からの続き)

 

ai-ueonosiawasenikki.hatenablog.com

 

前回は人は幸せを手に入れるために

新たな刺激を常に求め、最終的には

その達成が困難となり不幸を感じてしまうもの。

というところまで話をしました。

 

では、人は幸せでいつづけることはできないものなのでしょうか。

結論から申し上げると私は可能だと思います。

では、どうやって?

それはこのテーマの第一回の最後に述べた

現状が「幸せの状態であると気づく」ことであります。

常に現状が幸せと思えるようになれば、新たな刺激を求める必要が

なくなり安定して幸福でいられるのです。

反対に脳が新たな刺激があったときにしか幸せを感じられなくなってしまうと

永遠とそれを求め続けなくなり、

その刺激がなくなったときに不幸を感じてしまうのです。

結局、最終的に幸福か不幸かというのは自身の置かれている現状に対する認識にすぎません。

そうであれば、発想を変えて刺激がなくても幸せを感じられるように脳を

変えていくしかないのです。

 

なにか詐欺的な話みたいに感じられるかもしれませんが、

実際、幸か不幸かどうかは客観的な状況によって決定するのではなく

自身がその状況をどのように判断するかによって決まっているのです。

 

たとえば、私は大の車好きなのですが、いま突然新車のポルシェ911(価格約1300万円)が手に入ったとしたら飛び上がるくらいうれしいかと思います。

一方、車好きで知られる元プロ野球選手の山崎武司氏が同じ状況に

置かれたとしたら、まあ少しはうれしいかもしれませんが、

ランボルギーニ(価格約5000万円)等複数スーパーカー

所有している彼であれば

ポルシェ911程度では私ほどの喜びは感じられないでしょう。

さらに、仮に自動車に全く関心のない人が同車両をもらったとしたら

嬉しくもなんともないかもしれません(転売して換金するということは

ここでは考慮しません)。

 

つまるところ、

「客観的な同じ状況からでも得られる幸福感は人によって

様々であり、結局幸せをかどうかは自分がその状況をどのように

認知、判断するかにかかっている」

ということがこの事例からわかるかと思います。

 

そのため、常に幸せでありたいと思うのであれば

新たな刺激を手に入れることには限界がある以上、

「現状が幸福状態」と気づかない(認知できない)限り

永遠に手に入らないのです。

 

(次回(最終回)に続く)

 

 

 

 

「幸せ」って?(第2回)

(前回の続き)

 

ai-ueonosiawasenikki.hatenablog.com

 

 

前回の最後に

幸せって「なる」ものじゃなくて「気づくこと」。

そして「感じる」「状態」をさすもの。

と定義しました。

以下少し長くなりますが、その中身を説明していきます。

 

私は「幸せになる」という発想は

「今は幸せでない。でも、何かが得られたら(与えられたら)

私は幸せになれる。」

という考えに基づいているのではないかと思っています。

 

例えば、お金持ちになったらとか、きれいな女性とつきあえたら幸せになれるのに・・

と誰しも1度くらいは考えたことはあるかと思います。

確かに、今あまりお金がない状態で大金が手に入ったり、

恋人募集中の身で美人と付き合えたりしたら、

きっと多くの人は幸せになるでしょう。

私も例外でないと思います。

 

ただ、ここでその幸せを考えるにあたって一番重要なのことは

その幸せって「永続性」がありますか?ということにあります。

もちろん中には、恋人さえいれば死ぬまで幸せという人も

いるかもしれません。

でも、恐らくほとんどの人は

一年や二年経過したらその幸福感もなくなるんじゃないでしょうか。

 

そのお金が手に入った状態、あるいは恋人がいる現在の状況が

通常の状態となって、新たな幸福をもたらす

別の刺激を人はまた求めるのではないでしょうか?

つまり、より多くのお金、あるいはより器量(性格)の良い相手、

あるいはまったく別の欲望(動産、不動産を手に入れたい等)を

満たそうとあなたはするのではないでしょうか?

そして、その欲望が満たされない現状が継続すると

自分は不幸だと感じはじめるのではないでしょうか。

 

また、最初の欲望は小さいものでクリアできるものだとしても

満たされるごとに次なる欲望は肥大化し、

徐々に幸せへの道のりは解決困難なものとなるのが一般的ではないでしょうか。

(たとえば、最初自動車が欲しいと思って、中古車を買って満足した。

でも次はより高価な車でないと最初のころと同じ満足感を得られない。

仮により高価な車を買えたとしても、さらにその次が同水準の車では

最初の頃あるいは前回のときと同レベルの喜びは得られにくい。)

 

このように、幸福感を求める人間の欲求には限界が

ないものであり、通常、現状プラスアルファがない限り

人は幸福を感じづらくなるものです。

 

私は医者ではないので、想像の域を超えませんが

このことは、現在の日本をはじめとした先進国で

メンタル疾患(現状は決して不満を感じる程の状態ではないはずなのに

継続的に不幸感を抱き精神的なバランスを崩してしまう状態)

 が多く見受けられる原因の一つとして

通常の欲求はほぼ満たされたその社会、

そしてそれでも「モアモア」を求続ける人間の性(さが)に

その要因があるのではないかと思っています。

 

では、どうしたら常に幸せでいられるのでしょうか?

次回はその方法を考えてみます。

 

(第3回に続きます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「幸せ」って?

「幸せ」って何だろう?

いきなり人類誕生以来多くの哲学者が探求し続けている

難解そうなテーマから始めてしまったが、

本ブログのタイトルに「幸せ日記」とあるので、

最初にこのテーマを扱いたい。

 

おそらく誰もが「幸せになりたい」と思っているはずだ。

例えば、今は昔ほどあまり聞かれないのかもしれないが、

一生のビックイベントであるプロポーズの際は

「一生かけて君を幸せにする」「君と幸せな家庭を築きたい」とか

またされる側も「(私を)幸せにしてくれる?」

といった 「幸せ」を絡めた発言は定番フレーズとなっている。

 

また「(世間的に)良い学校、良い会社に入りたい」

「お金持ちになりたい」といった願望は

それらのことが 幸せにつながる(と考える)からこそ

人々はそれらを求めているはずである。

 

こういったことからわかるように

人間が生きる上の最大の目的は幸せであり、

その幸せを最大化するために人は人生における

様々な選択をしてきているはずだ。

 

 

でも、私は思う。

「理想の人との結婚」「良い学校、会社へ入学や就職」

あるいは「富者になる」 といったことで人々は本当に幸せになれるの?

結論から言えば、私は無理だと思っている。

 

いや、もっと崇高な目標でも良い。

総理大臣(大統領)になって国を良くする。

あるいは慈善家になる。

といった類いでも何でも良い。

それでも、私は無理だと思う。

いや、私の考えをより丁寧に表現すると

そもそも幸せに「なる」という発想をしている時点で

その人は永遠にその目的を達成できないと思っている。

 

というのも、幸せって「なる」ものじゃなくて「気づくこと

そして「感じる」 「状態」をさすものだと思うから。

 

(次回以降、詳しく説明していきます)