愛 飢男(あい うえお)の幸せ日記

バツイチ、中年、無職、そして友人、恋人、家庭すべてなし。でもすごく幸せ。どうして?時間を自由に使えるから。

「幸せ」って?

「幸せ」って何だろう?

いきなり人類誕生以来多くの哲学者が探求し続けている

難解そうなテーマから始めてしまったが、

本ブログのタイトルに「幸せ日記」とあるので、

最初にこのテーマを扱いたい。

 

おそらく誰もが「幸せになりたい」と思っているはずだ。

例えば、今は昔ほどあまり聞かれないのかもしれないが、

一生のビックイベントであるプロポーズの際は

「一生かけて君を幸せにする」「君と幸せな家庭を築きたい」とか

またされる側も「(私を)幸せにしてくれる?」

といった 「幸せ」を絡めた発言は定番フレーズとなっている。

 

また「(世間的に)良い学校、良い会社に入りたい」

「お金持ちになりたい」といった願望は

それらのことが 幸せにつながる(と考える)からこそ

人々はそれらを求めているはずである。

 

こういったことからわかるように

人間が生きる上の最大の目的は幸せであり、

その幸せを最大化するために人は人生における

様々な選択をしてきているはずだ。

 

 

でも、私は思う。

「理想の人との結婚」「良い学校、会社へ入学や就職」

あるいは「富者になる」 といったことで人々は本当に幸せになれるの?

結論から言えば、私は無理だと思っている。

 

いや、もっと崇高な目標でも良い。

総理大臣(大統領)になって国を良くする。

あるいは慈善家になる。

といった類いでも何でも良い。

それでも、私は無理だと思う。

いや、私の考えをより丁寧に表現すると

そもそも幸せに「なる」という発想をしている時点で

その人は永遠にその目的を達成できないと思っている。

 

というのも、幸せって「なる」ものじゃなくて「気づくこと

そして「感じる」 「状態」をさすものだと思うから。

 

(次回以降、詳しく説明していきます)